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「世界の中のパレスチナ問題」を読んで(1)

パレスチナ問題を考えるために重要な事件を時代ごとに捉える書。

世界史の中のパレスチナ問題 (講談社現代新書)

世界史の中のパレスチナ問題 (講談社現代新書)

ユダヤ教についてレポートを書くために読んでいます。 印象に残ったことや、パレスチナ問題を考える上で忘れてはいけないと思ったことを中心に、この本の第1章をまとめてゆきます。

全体の構成

  • 第1章:パレスチナという場所 ・・・中東政治の原型の形成と、三つの一神教の相互関係について
  • 第2章:列強の対立に翻弄されるユダヤ人とアラブ人・・・パレスチナ問題の展開の検証
  • 第3章:アメリカの平和の終わりの始まり・・・中東におけるアメリカ覇権の終わりの認識のもとに、中東平和プロセスを考える

の三部構成になっています。

第1講 パレスチナという地域とその宗教と言語

いまイスラエルという国家がある場所は、昔パレスチナと呼ばれていました。古代ユダヤ王国があった場所です。

オスマン帝国が統治するようになった後も、パレスチナは三つの一神教の聖地エルサレムを抱え込んでいるので、ヨーロッパのキリスト教とはパレスチナにいる同胞の信徒を足場にしつつ、オスマン帝国の政治に介入していました。

パレスチナ社会の多文化的性格を考える

アラビア語を話すユダヤ教徒

シオニズム運動が始まる前は、パレスチナの人口の9割はスンナ派のムスリムでした。このころにはアラビア語を話すユダヤ教徒がいました。21世紀にはいると、ユダヤ教徒のほとんどが1948年に建国されたイスラエル国に移住するので、アラブ世界にいるユダヤ教徒はほとんど存在していないと言われます。もともとパレスチナのキリスト教徒はムスリムと共に侵略者と戦ってきた歴史を持ちますが、そういった長い共存の歴史が終わってしまったのです。

ただ、「アラビア語を話すユダヤ教徒」として、多数派のラビ派のユダヤ教からはユダヤ教徒と認められていませんが、サマリア派ユダヤ教徒がごく少数ですがまだいらっしゃって、ヨルダン川西岸に住んでいるそうです。新約聖書ではサマリア人として登場しますね。

アラビア語を話すキリスト教徒

1.ギリシア正教徒

エルサレムの正教会総主教はギリシア人ですが、一般信徒はアラブ人でアラブ語を母国語とするようです。 カトリック教会と同じく、父なる神と子なるキリスト、聖霊は一体だとする三位一体説を信じています。

2.ネストリウス派キリスト教徒

カトリック教会によって異端とされた一派で、東方に布教していきました。日本の教科書には「景教」として登場します。 三位一体ではなく、キリストは人の子として生まれてきた、と考えていて、マリアが神の母であることを否定します。

3.単性論派キリスト教徒

これもカトリック教会によって異端とされました。キリストのなかで、神の性質と人の性質が融合した、とする立場です。 この流れに属しているのが、シリアやアルメニア、エチオピア、コプトの正教会になります。

4.ギリシアカトリック教徒

もともと東方教会に属していて、ローマ教皇の権威は認めても、日々の典礼は独自のものを保つ人々です。パレスチナには少数いるだけで、多数はレバノンで暮らしています。

5.ローマカトリック教徒

パレスチナのアラブ人のなかにはそれほど多くありませんが、フランチェスコ修道会やドミニコ修道会らがずっとパレスチナで活動していたので、いるっちゃいるということです。

以上の分類のほかに、プロテスタント諸派の信徒もいます。聖墳墓教会のなかに礼拝所は持っていません。

なぜこのような多文化社会が作られたのか

ひとつには歴史的にイスラームが他宗教や他宗派にたいし寛容だったことに由来するそうです。

これが、19世紀以降「国民国家」というシステムを適用したときの難しさに繋がりました。 それを受けて筆者は、「エルサレム問題は国民国家モデルを超えるための試金石として、重要な意味をもつ」と言います。

エルサレム問題の重要性

3つの聖地

  • ユダヤ教の聖地:嘆きの壁。この名前はヨーロッパからの旅行者がユダヤ人が悲しんでいるように見えるとしてつけただけで、ユダヤ教徒は「西壁」と呼んでいる。

  • イスラームの聖地:ハラム・シャリーフ。この聖域のなかに、岩のドーム(ウマル・モスク)とアクサー・モスクがある。コーランのなかでは、ムハンマドが夢のなかで岩のドームから昇天してあらーとまみえたとされる。

  • キリスト教徒の聖地:聖墳墓教会。イエスが十字架に処せられた場所とされる。

第2講 ユダヤ教から見たキリスト教と反ユダヤ主義の起源

ユダヤ教・キリスト教・イスラームという3つの一神教の相互関係について述べ、現代における宗教の役割、とりわけ反ユダヤ主義という差別思想について考える章。

筆者は、「現代のパレスチナにおける紛争は本質的には宗教的な争いではなく、領土をめぐる政治問題であって、それを宗教の立場から正当化しているだけにすぎない」という意見の持ち主です。それをふまえ、「宗教が共同社会により、どう政治的に利用されるか」が核心であると述べます。

ナショナリズム思想とのかかわり

民族と領土を結びつけるナショナリズムという考え方は、19世紀的な新しいものであり、これが登場して「特定の土地は特定の民族に属さねばならない」と考えられるようになった、といいます。

ユダヤ人のナショナリズムであるシオニズムからすると、ムスリムが後からやってきて、ユダヤ教の聖地を占領するのはいけないことだ、ということになります。 しかしながら、ラビ派ユダヤ教の信仰としては、律法を守れなかったためにパレスチナの聖地に入ることは神から禁じられており、物理的な聖地の所有というのは昔はユダヤ教徒のなかで問題になっていなかったそうです。

そもそもユダヤ教とは?

筆者は「唯一神ヤハウェとの契約にもとづき、モーセによる律法を守りつつ、メシアの来臨を信じる啓示宗教(唯一の創造主を信仰する宗教のこと)。ローマによる神殿破壊ののち、律法研究中心のラビ・ユダヤ教が誕生。今日にいたるまでユダヤ民族を支える信仰伝統」と定義します。 神の救済の対象がイスラエルの民だけで、非ユダヤ教徒は救済の対象にならない選民思想を持っているため、キリスト教が世界宗教であるのと対比して民族宗教と言われたりします。

啓典は旧約聖書ですが、そもそも「旧約」という呼び方もキリスト教の立場から新約聖書と比較して言っているものなので、筆者はユダヤ教徒にならって「タナフ」と呼ぶべきだと主張しています。

タナフとは「律法」「預言者たち」「本たち」の頭文字(T,N,K)を読んだものです。

ユダヤ教の律法(トーラー)

ユダヤ教における律法とは、狭義ではモーセによる5つの書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)です。

敬虔なユダヤ教徒は、この5書を毎週の安息日に一年かけて読み終えるそうです。

十戒の内容

  1. 唯一神であること
  2. 偶像崇拝の禁止
  3. 神の名をやたら唱えてはいけない
  4. 安息日は守る
  5. 両親を尊重する
  6. 殺人は禁止
  7. 姦淫は禁止
  8. 窃盗は禁止
  9. 嘘は禁止
  10. 隣人の財産をほしがってはいけない

があります。

また、ユダヤ教には、「書かれた律法」であるタナフとはべつに、口で伝えられたミシュナーがあります。

なぜユダヤ人がキリストを殺したことになったのか

筆者は、その理由を

ローマのコンスタンティヌス帝が313年にキリスト教を公認し、後のテオドシウス帝の代にローマの国教とするにあたって、イエスの死の責任をローマ帝国に置くことはできない、と考えて、キリストを殺そうとした民衆がユダヤ教徒であるということにしたのではないか

と説明しています。

ユダヤ教徒への差別と迫害

史料最古のものは、1144年にイギリスで起こったとされる中傷で、「ユダヤ教徒がキリスト教徒の少年を誘拐し、儀式のために殺害している」というもの。ユダヤ教徒が犯行を行ったとする証拠はないそうです。

第3講 イスラームからみたユダヤ教とキリスト教

啓典としてコーランがありますが、アッラーの言葉はアッラーの存在のしるしなのであるから、アラビア語で書かれたコーランを翻訳してはならないとされているそうです。現実には翻訳が存在し、あれ?となると思いますが、それはコーランの解釈を示したものにすぎない、とされるそう。

信仰証言について

筆者はイスラームの考え方を凝縮したものとして、シャハーダ(信仰証言)があるといいます。

シャハーダとは、イスラームに入信するときに宣誓するもので、「私は証言する。アッラー以外に神はいない。ムハンマドは預言者である」という内容です。

同胞意識

筆者は世界宗教であるイスラームの本質を捉える上で、イスラームのなかで共有される「自分たちは共通祖先の子孫たちである」という意識が重要であるといいます。

アブラハムは息子のイスマイールとカアバ神殿をつくり、イスマイールはそこに残ってアラブ人の祖先となり、アブラハムのもう一人の息子であるイサクはイスラエルの民になったとされます。このようにイスラームとユダヤ教が共通の祖先として崇拝するのがアブラハムなんだそうです。

ムスリムの義務としての五行と六信

五行

  1. 信仰告白
  2. 礼拝
  3. 喜捨
  4. 断食
  5. 巡礼

六信

  1. 唯一神であるアッラーの存在
  2. 霊的な存在としての天使
  3. 使徒(ムハンマドは最後にして最高の使徒)
  4. 啓典(コーランは最後にして最高の啓典)
  5. 来世(最後の審判がある)
  6. 神の予定(アッラーは全てを知っている)

第4講 ヨーロッパ対イスラーム

筆者は、十字軍によってユダヤ教徒への差別が新たな段階にはいったと言います。

ヨーロッパの内なる敵とされていたユダヤ教とが、外なる敵とされていたムスリムと内通する勢力として位置づけられたからです。

また、十字軍はヨーロッパ世界のイスラームに対する巻き返しの事始めとなって、レコンキスタや大航海時代とつづき、ヨーロッパによるイスラーム世界包囲網の形成につながる、とも言っています。

イスラーム国家からみた十字軍とは

十字軍は、11世紀末から13世紀末までエルサレム奪還を名目として西ヨーロッパのカトリック教国が行った侵略戦争です。

十字軍はユダヤ教徒の虐殺も行ったとされます。

中世キリスト教社会のユダヤ人嫌悪

ユダヤ人への嫌悪感情により、1078年にローマ教皇グレゴリウス7世はユダヤ教徒にたいして「公職追放令」を出し、すべての職業組合からユダヤ人を締め出してしまいます。

そこで、キリスト教では金を貸して利息を取ることは罪とされていたのですが、ユダヤ教徒の聖典タルムードでは許されていたという背景のもと、ユダヤ教徒は高利貸業を営むことになりました。

第5講 オスマン帝国と東方問題

オスマン帝国は16世紀前半に絶頂期に達し、支配者であるスレイマン一世は第一次ウィーン包囲を行っていて、ヨーロッパの直接的な脅威となりました。

しかしながら、それとは対照的に17世紀後半の第二次ウィーン包囲においてはオスマン帝国は敗けて、ハンガリーやクロアチアなどを領土から失ってしまいます。18世紀末以降は「ヨーロッパの病人」とまで呼ばれるようになってしまいました。

帝国内の宗教共同体

オスマン帝国は他民族からつくられるイスラーム帝国だったので、非ムスリムの共同体が大きく3つありました。ギリシア正教会、アルメニア教会、ユダヤ教会です。

宗教共同体はミッレトと呼ばれ、貢納などの義務のかわりに自治をゆるされていました。

オスマン帝国が弱体化していくと、これらの共同体は帝国からの分離独立を求めるようになりました。その独立を促進した制度として、「カピチュレーション」とよばれる、領域内に住む外国人に恩恵として認めた特権のことを意味するものがあります。

始めは商売活動を活性化したり、ハプスブルク家という敵を共通してもつフランスとの関係を良くしたりするためのものだったそうですが、オスマン帝国が衰退し始めると、侵略の足がかりとして利用されるようになってしまいました。

イギリスによるユダヤ教徒支援

オスマン帝国のギリシア正教徒すべてを保護下に入れる、とするロシアの政策に対抗したいイギリスですが、イギリスのキリスト教の宗派は改革をへてプロテスタントになった英国国教会であるため、オスマン帝国のなかに手を組める同胞がいなかったようです。なので、イギリスはオスマン帝国のそれぞれの地域において、違った宗教共同体と手を組むことにしました。パレスチナでは、ユダヤ教徒を支援することになったのです。

ユダヤ教徒にイギリス国籍を与え、ユダヤ教徒が外国人特権であるカピチュレーションを得られるようにしました。

 第1章の感想

多角的な視点から、丁寧にパレスチナ問題を紐解いていく良書だと、僭越ながら思います。 なにかと宗教上の対立として捉えてしまっていましたが、国民国家という思想が定着するまではそもそもひとつの民族ひとつの領土、という発想はパレスチナという土地には不自然だったのであって、いったいどういう勢力が、どういう政治的思惑をもって、ユダヤ人を差別、または優遇してきたのか?という事に着目しなくてはならないのですね。 「世界の中のパレスチナ問題」を読んで(2)に続きます。