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あなたも希望難民?「ピースボートと承認の共同体幻想 古市憲寿」を読んで

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

今回読んだのはこちら。 あちこちのメディアにひっぱりだこ、30歳の社会学者・潔癖で毒舌な古市さんが著書。

古市さん自ら114日間も船に乗り込んで、「コミュニティ」と「あきらめ」をキーワードにピースボートを分析する、というのがコンセプトの本。 もともと古市さんが修士論文として書いたものが面白いというので本になったようです。


みなさんはピースボートと聞いてピンときますか?

http://img02.ti-da.net/usr/zubora/100514sk23k.JPG

このチラシなら見たことあるんでは...


これ、貼れば貼るほど貼った人の参加費用が安くなるようにできていて、それであちこちに貼ってあるというわけです。

ピースボートに乗る若者は4タイプ

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  1. セカイ型「セカイヘーワ!」
  2. 自分探し型「こんなはずじゃなかった」
  3. 文化祭型「なんかわかんないけど、毎日楽しい〜!」
  4. 観光型「ピラミッドとマチュピチュが楽しみ」

の4類型化ができる、と古市さんは言います。


「セカイヘーワ!」とか、古市氏の悪意というか軽い皮肉を感じますね(笑)

こういう随所にある遊びが、毒々しい笑いをこの本に加えていて、ほんと古市さんはユーモアがある方なんだなと思います...。


セカイ型は、掴みにくいかもしれませんが「憲法9条を守り、広めたい」「世界を変えたい」と「世界」「平和」をキーワードに承認を獲得している若者たちを指すそうです。もともと「戦争のあとをまわって現地の若者と意見交換をする」として始まったピースボートの理念にもっとも共感し、ピースボート運営の主体となっていく参加者たちのグループにあたります。


ただ、こういった若者たちの多くはピースボートから日本に帰ると具体的な平和へのアクションを起こすことはなく、古市氏は「本人たちはそのつもりがなくても、世界一周や世界平和は感動や盛り上がるためのネタだった、というのは言い過ぎだろうか」と指摘している。

しかしながら、ピースボートに最もなじんで交友関係を広く結んだ傾向のあるセカイ型と文化祭型は、帰国後そこで得た友人関係(社会関係資本)を活かしてルームシェアをしたり、仕事をしたりしていたそう。


観光型の若者は、学生やフリーターによりも正社員などに多く、冷えた目でセカイ型などを見たり、ピースボート内で起こるイベントや事件を傍観者として面白がる傾向があったそうです。

ピースボートで変わったことは何もなかった。みんな無駄に気持ちが熱くてひいてた。何熱く語ってるのみたいな。だけどそういう人ほど結局ニートしとるけん、早く行動しろよ(って思う)

という観光型に分類される参加者のコメントは辛らつです...。

9条ダンス

ピースボートに特徴的な活動が、9条ダンス。

憲法9条の理念をヒップホップのリズムに乗せて表現したダンスで、練習はほぼ毎晩行われ、一番多い時で100人ほどが参加していたそうです。

ポスターなどには政治色を感じませんが、実際は左翼的な立場を持っているということですね。

www.youtube.com

動画でありました!あれ、そんなヒップホップ感はありませんね。

( * しかしながら、古市さんが憲法9条条文の穴埋め問題を若い参加者たちに解いてもらったところ、正解者は122人中3人に過ぎなかったそうです、、条文の丸暗記なんで中学受験でもしないかぎりやらないだろうし、理念が分かっていればOKな気もするけど...それにしても低いようには思いました)

ピースボートは冷却装置

ただでさえ若者の貧困や格差問題が社会問題化するなかで、「大きな物語(こうすれば人生成功できる、この目的のために生きている..といったもの)」のない現代(=ポストモダン)における「自分らしさ」を求める競争のなかで「生きづらさ」を感じ、希望難民になってしまった若者たちにとって、ピースボートは「あきらめさせる装置」になりうる、と筆者は指摘しています。

ピースボートは若者たちの希望や熱気を共同性によって放棄させる機能を持つと言える。

つまり、「まだ見ぬ自分」や「生きる実感」を求める自分探しの旅という支配的価値から離れて、「世界平和」や「地球一周」という概念にコミットすることで、「自分を探さなきゃ」という熱を冷まし、「自分の役割はこれだ!」と思えることができた、ということです。


さらに、ピースボートはその「世界平和」という自身の提供する希望をも冷却する機能があるといいます。ピースボートの旅が終わった後、若者たちは出会った仲間たちと楽しく暮らしているが、もう平和を掲げて活動をすることはない。なぜなら、もうそういった理念を掲げなくても共同体を保つことができるからだ、と。

この社会という「クソゲー」

僕たちが生きるこの社会には、「クソゲー」と呼ばれるゲームの要素がいくつも含まれている。チュートリアルが不十分でゴールが不明瞭。自由度が高そうに見えて、実は初期パラメーターに大きく依存する行動範囲。セーブもできないし、ライフは一回しかない。

特に古市氏が問題と感じているのは、レベルアップ制度の不備だといいます。

フリーターを続けている場合や学歴がない場合でも、社会的地位を上昇させられるようなレベルアップのしくみ。

そういったキャリアラダーもないなかで、夢を追うのはあまりにもリスクがありすぎる、あきらめること(=社会的老化)が本人の幸福につながる、と筆者は主張する。その実行策のひとつが、「コミュニティ」であると。

そして、社会を変えていくべきは「共同体をただの居場所とは考えず、目的性の達成のためなら冷徹になれ、だけど対外的にはお茶目なエリート」であるとしています。

主観的〜な感想

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この本が出されたのは2010年。2015年の今は、ちょうど5年経って、ゆとり世代たちが20代になって若者入り、を果たした頃なわけです。

そのゆとり世代の一人、ザ・ゆとりとして思うに、この世代はかなり「あきらめること、自分の欲望を現実に適応させること」を得意としているのではないでしょうか。


カツマーよりもカツマーに対抗した香山リカの「勝間さん、努力で幸せになれますか」みたいな流れに象徴的なように、「頑張らなくても、いいんじゃないか」「ぬるぬる友達と暮らしていくの、ありだよね」みたいな感情が社会的に受け入れられやすくなって。


「この国は、少子高齢化して社会負担も大きくなって、人口も減って稼げなくなっていくし、離婚率は3分の1で若者の生涯未婚率は30%くらいの予想だけど...まあお金がなくても家族がいなくても、趣味や地元の仲間とつながってなんとか楽しく暮らしていけるよね」みたいな。


たしかに、若者個々人にとって、「このクソゲーから降りていいんだ」って思えることはすごく重要だと思う。けれど、多くの若者があきらめることが出来るようになってしまったら、この国はどうなるんだろう?その風潮により、エリートまでもあきらめるようになってしまったら?


やはり、社会総体として「あきらめるな、努力せよ、志を抱け、日本を世界を救いなさい」って教育するのは正しいように思われる。「あきらめさせない社会」は必要悪なのだ、と言うこともできるかも。