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キリスト教を体系的に理解するなら「ふしぎなキリスト教」(1)が面白い

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宗教学者の橋爪大三郎氏と、社会学者の大澤真幸氏による対談形式でキリスト教のふしぎを読み解いていく本。

「なんで神がひとつであることにこだわるの?」とか「神の子というアイディアはどこからきたの?」といった、本質的な質問が多く、宗教をよく知らなくても読みやすくて面白いこと請け合いです。西洋史の大局的な流れを掴むのにもオススメ。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか

キリストの存在がユダヤ教とキリスト教の分かれ目になっている

キリスト教を理解するときのポイントは、実はユダヤ教があってキリスト教が出てきたということ。

旧約聖書を排することなく、キリスト教の中に旧約聖書がそのまま残されているのが面白いと筆者は言います。

筆者は「キリスト教もユダヤ教もほとんど同じ。イエス・キリストがいるかどうか、そこだけが違う」と驚くべきことを書いています。

同じところ

  • 一神教である
  • 同じ神を崇めている(イエスの父はヤハウェでユダヤ教の神)

違い

  • 神に対する人の接し方(旧約聖書では預言者が神の言葉を伝える。新約聖書では預言者以上の存在である神の子イエスが現れたので、預言者ではなくイエスを崇めることが直接神を崇めることになる)

なぜ一神教は「神は一つ」にこだわるのか?

大澤氏の「神様をたくさん持つ共同体のほうが歴史的には圧倒的に多かったのに、なぜ神が一であるということがそんなに重要なのか」という質問はとても本質的で、面白く感じました。

橋爪氏の答えは、

  • 日本人にとって神様は人間のようなもので、仲間であり親戚のようなもの。仲間なら大勢いたほうがいい。

  • 一神教のGodは人間ではない、全知全能で絶対的な、地球外生命体。Godは、人間を滅ぼしかねない「怖いもの」

それゆえ、

  • 一神教徒にはそんな怖いGodといかに付き合うかがテーマとなる

というものでした。大澤氏も言っていますが、学者らしからぬユーモアあふれる説明ですね。

ユダヤ教はいつちゃんとしたユダヤ教になったの?

橋爪氏は、ヤハウェという神が最初に知られるようになったのは紀元前1300年から1200年ごろだといいます。これがそれなりにユダヤ教らしくなったのは、バビロン捕囚(紀元前597〜前538)の前後だそうです。

ヤハウェはマックスウェーバーの「古代ユダヤ教」によると、最初は自然(とくに火山?)をかたどった神だったらしく、破壊や怒りの神だったらしいです(オソロシイですね)。それが戦争の神として丁度いいってことで、イスラエルの人々は、エジプトとメソポタミアの大国ふたつに挟まれて、戦争を頑張らなくてはいけなかったのでヤハウェを信じるようになったと。

そのうち、戦争するなら王がいたほうがいいねってことで、イスラエルの民はサウル、ダビデ、ソロモンといった王を立てたわけですが、これをどう選んだかというと、ヤハウェの声を聴いたとされる預言者のサムエルが、サウルに油を注いで、最初の王にしたわけですね。

ふつう王を決めるときに意見が割れるもんだけど、Godがいると、Godが望んだからという理由で王制が作りやすい。王がなんか間違えたら、預言者が「王は神との契約に反して〜をした」と批判できる。預言者だから、王は独裁的であってもなかなか預言者を殺すことはできない。こうして、ヤハウェ信仰と王制が結びついたそうです。

だから、預言者のやっていることは、王の行動がヤハウェ信仰に照らして正しいか、チェックするということなんです。(こうしてみると、古代の世界においては宗教って合理的ですね!)

ソロモン王の後、イスラエルは北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂してしまうのですが、さらにその後、アッシリアが攻めてきて、北イスラエル王国を滅ぼしてしまいます(紀元前722)。そして、残ったユダ王国も、バビロニアという国によって滅ぼされ、イスラエルの民はバビロンに連れて行かれてしまうのです。

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なぜ、こんな苦しみに私たちは遭うのだろうか....


とイスラエルの民は考えます。

そして、彼らは、「ヤハウェは我々だけでなく、世界を支配する神である。敵も、ヤハウェの命令により攻めてきているはずだ。これは、我々がヤハウェに背いて、罪を犯した、その罰である。これまで以上にヤハウェを信じれば敵はいなくなるにちがいない」という考えに至ります。

ここで、ヤハウェが、イスラエルの民族の神から、世界を支配する唯一の神に格上げされるわけです。 そして、この後預言者の予言通り捕囚から解放され、エルサレムの神殿を再建することができたことで、ヤハウェ信仰は強まります。

ヤハウェにどうやって仕えるか

橋爪氏は、ヤハウェへの仕え方には3通りあるといいます。

  1. 儀式をおこなう => 祭司が中心
  2. 預言者に従う => 預言者が中心
  3. モーセの律法を守る => 律法学者が中心


しかし、それぞれの中心である祭司と預言者と律法学者は険悪だったといいます。ヨハネやイエスといった預言者は、律法が整備されると、弾圧され、殺されてしまいます。


バビロン捕囚のあいだに、神殿がないわけですから、祭司たちの地位は下がり、律法学者の地位が上がったわけです。しかしながらイスラエルに戻ってきて、神殿を再建するとまた祭司の力が強くなった。ところがイエスが処刑された後、神殿が破壊され、神殿を拠点にしていた祭司はいなくなり、律法学者だけが残った。これが今あるユダヤ教だそうです。

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なぜ、連戦連敗にもかかわらず、ヤハウェを信じたのか...?

題の通りの大澤氏の疑問に対して、橋爪氏は以下の3つを挙げている。

1. いじめられっ子の心理。

いじめられ続けると、自分に何か原因があるからいじめられるのではないかと考える。いじめられるという状態を受け入れ、自尊心を保つ為に、「これは試練なんだ」と現実を合理化する。

2. 心理学の実験で、「どれくらいであきらめるか」というものがある。

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コインを入れると餌が出てくる機械をサルにいじらせる。コインを入れてバナナが必ず出てくる場合、数回出てこないとサルはすぐあきらめる。しかし、まぐれにエサが出てくる仕掛けにすると、サルはバナナが出てこなくなってもなかなかあきらめない。これと同様に、イスラエルの民もたまに勝つから、今度こそ勝つんじゃないかと信じ続ける。

3. イスラエルの危機が2段階(イスラエル王国滅亡 => ユダ王国滅亡)で起こったということが原因。

北のイスラエル王国の滅亡を見たユダ王国は、外国に攻められると民族がちりぢりになってしまいアイデンティティーを失うのだという危機感をいだくようになり、信仰を強化した。

長くなるので、このへんで。キリスト教を体系的に理解するなら「ふしぎなキリスト教」(2)が面白い に続きます。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)